補 同年, 楊州人崔天柱毆踢朴庚位致死。因道臣李鎭衡稟啓, 本曹判書徐浩修回啓, 檢驗傷處, 胸膛肩胛之紫赤, 大不過碁子, 乳脇臍胯之紫靑, 體又爲柔軟, 實因初非必死之法。鬪鬨六日之後, 短晷百里之行, 屍親諸招, 亦無間然。詞證儘多可原之情。推官·道臣以洗冤錄手足十日之文, 爲過辜限之據, 而斷獄辜限, 當以大明律手足及他物二十日之文爲主, 今忽以洗冤錄減縮辜限, 殊非重獄體杜後弊之意。辜限內外, 姑捨勿論, 實因與詞證, 旣無明的可殺之端。道臣傅生之論, 誠有意見, 獄體至嚴, 不敢擅便。上裁。判付內, 肩胛之小如碁子, 脇臍之又爲柔軟, 昭載屍帳之實因。六日後百里行, 又發屍親之諸招, 則辜限之過與不過, 非可論也。當初成獄, 旣關後弊, 到今會推, 殊乖法意。依回啓勘放。