형조수교류刑曹受敎類

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325. 正祖 15年(1791): 궁방 도서의 해서(楷書)로 작성하여 반행
◉ 宮房條字楷書頒行
辛亥二月初二日到付. 刑曹爲相考事, 節啓下敎. 因京畿監司徐狀本, “壽進宮, 着條牌子作奸諸人, 嚴囚推覈.”
爲如乎. 曹啓目, 判付內, “宮房所謂圖署, 近皆內藏, 不得售奸乙仍于, 致有今番踏條之擧. 條之大小, 宮各不同, 各邑守宰之莫定. 其孰是圖署, 孰是着條, 不是異事. 圖署則本以篆字刻之, 此後段, 各宮房條, 以楷字刻頒, 俾無眩於分別之弊, 枚擧此意, 自本曹嚴飭諸道, 曉諭列邑, 以楷條踏送者, 除非微細應爲之事, 切勿聽施事, 定式施行.”
事, 判下敎是置, 判付內辭意, 奉審施行向事.

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326. 正祖 15年(1791): 난전 혁파
◉ 罷亂廛
正宗十五年辛亥, 左議政蔡濟恭所啓, “當此三元, 思所以捄民瘼施民惠, 則罷都庫爲急. 蓋我國亂廛之法, 專爲六矣廛之上應國役, 使之專利, 而近來民心不古, 遊手之輩, 自作廛號, 凡係人生日用物種, 無不主張, 大而馬駄船載之産, 小而頭戴手提之物, 伏人要路, 廉價勒買, 而物主如或不聽, 輒以亂廛結縳, 驅納於秋曹·京兆, 使之剝膚而後已. 甚至於蔬菜甕器, 亦有廛號, 不得私自和賣, 民生之食而無鹽, 窮士之祭無以覓需, 專是都庫不禁之致也. 宜使平市署考出零瑣廛號001
註 001 『承政院日記』·『備邊司謄錄』: ‘零瑣廛號’⇒‘數三十年以來 零瑣新設之廛號’.닫기
, 一倂革罷, 六矣廛外, 以亂廛捉納者, 施以反坐, 則商賈有和賣之理, 民生無難窘之弊矣.”
上曰, “諸宰各陳所見, 可也.”
六卿備堂各陳意見, 槪與左相同.
蔡濟恭曰, “平市提調, 考見廛號創設年條, 當罷者, 一倂罷之, 以眞諺揭榜,002
註 002 『承政院日記』·『備邊司謄錄』: ‘於四大門及十字街’가 더 있다.닫기
使京外之民曉然知之, 則不出數年, 其效自可見之矣.”
上曰, “依爲之. 民俗之不如古, 久矣. 萬一令行, 而寒士窮民, 未蒙實惠, 市廛上應國役者多, 俄以韓判府事罷廛事, 筵奏引論者, 卽此意也. 卿於筵退後, 與有司之臣, 博採物情, 各別消詳, 務求恰好底道理, 俾有悠久之實效, 可也.”

註 001
『承政院日記』·『備邊司謄錄』: ‘零瑣廛號’⇒‘數三十年以來 零瑣新設之廛號’.
註 002
『承政院日記』·『備邊司謄錄』: ‘於四大門及十字街’가 더 있다.
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327. 正祖 15年(1791): 제외(題外) 격쟁 및 원정 금지
◉ 禁擊錚原情泛及題外
正宗十五年辛亥, 因西部李靖國擊錚捧供啓目判付內, “訟理曲直, 不難分曉, 則公決顧何難事. 名以營邑, 今日明日, 推諉爲事, 屢煩呼籲, 屑越莫甚, 嚴飭該道, 毋敢如前漫漶爲旀, 渠雖至冤切迫之端, 但當就事論事, 擧其不當擧之, 彼隻先故, 登諸奏御文字. 此等習俗, 在朝紳, 猶可痛禁, 況如渠蟣蝨乎? 所謂世累, 亦以昭脫無餘, 官爵自如之人, 則尤可謂皮不存, 原情人段, 付之該道, 各別嚴治. 此後勿論山訟他訟, 泛及題外, 如此說話, 以爲敲撼之計者, 直於曹庭道庭, 燒火所捧原情後, 勿論訟理曲直, 加等勘罪, 仍卽草記或狀聞事, 定式施行. 政院該房故事, 該曹該道謄錄, 以此判付詳載, 以爲依此遵行之地.”

출전 : 聽訟-116. 禁擊錚原情泛及題外
   定例-71. 禁擊錚原情 泛及題外
   受敎-76. 禁擊錚原情 泛及題外
   特敎-1.91. 禁擊錚原情題外
   謄錄-47. 訟理外拖及題外說話者 原情燒火 加等減罪事
   秋曹-79. 禁擊錚原情題外
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 1월 20일.
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328. 正祖 15年(1791): 과거 시험장 부정행위의 초기 보고
◉ 科場用奸草記
正宗十五年辛亥, 武二所用奸擧子李熺, 充軍草記, 傳曰, “此後自試所弄奸移送者, 照律後草記事, 定式施行. 至於此武士, 聞是武弁守令之弟, 而亦所爲若此, 尤爲痛駭, 令訓將除尋常各別嚴棍於慕華館後, 充軍.”

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329. 正祖 15年(1791): 사헌부 이예(吏隷)의 작폐 단속
◉ 憲府吏隷出禁作弊
正宗十五年辛亥, 以司憲府書吏李載輝等作弊江民事, 刑曹回啓, 判付內, “前此飭禁, 何等嚴截乎. 法司出禁, 所以正民俗除民瘼, 而反爲虐民厲民之歸, 其爲痛惡, 百倍甚於尋常犯科. 嚴懲未久, 冒犯依舊, 如許亂民, 足可謂罔赦, 斂賂捧錢各人等, 次次嚴刑, 與前受刑, 準三次, 遠地限己身充定軍役爲旀, 所謂都吏及干連各人等, 加刑一次, 照律嚴處爲旀, 身爲掌憲之臣, 刑漢兩司吏隷之作弊, 猶可隨聞痛戢, 甚者, 幷與不飭之堂郞, 發啓論勘, 事理則然是去乙, 考其所爲, 反於是分叱除良, 痛戢新反, 長惡如此, 其爲溺職之失, 先自法官重勘, 當該憲臺玄重祚, 畿沿投竄, 此後以憲吏憲隷, 復踵前習, 侵虐民間者, 當以盜竊財貨律直斷. 以此判付, 載之本曹本府謄錄, 政院刑房故事爲良如敎.”

출전 : 聽訟-118. 憲府吏隷出禁作弊
   特敎-1.93. 憲府吏隷作弊勘律
   秋曹-84. 憲府吏隷出禁作弊
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 7월 20일.
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330. 正祖 15年(1791): 사학(邪學)을 다스림
◉ 治邪學
正宗十五年辛亥, 刑曹啓目粘連啓下是白有亦, 依下敎, 發遣郞廳問議于大臣.001
註 001 『承政院日記』: 이상이 ‘刑曹啓目 粘連依下敎 發遣本曹郞廳 問議于大臣是白乎’이다.닫기
則左議政蔡濟恭, “以尹志忠·權尙淵, 窮兇極惡之罪, 傳說藉藉, 而臣則意以爲, 苟有人形, 同得秉彝, 渠亦人耳, 其惡何至若是之甚? 竊有其然, 豈然之意. 今覽道臣査啓, 棄其親屍, 雖是浪傳, 燒却祠板, 俱爲自服. 噫, 異端邪說之賊夫人子, 從古何限, 而如許至兇獰至悖惡之事, 自有生類以來未之聞者, 妖說之惑人, 何以至此? 人之牿失秉彝, 亦何以至此? 覽之未竟, 神骨俱冷, 不能自定, 此不施以極律, 無以淑人心而正倫理, 臣以爲尹志忠·權尙淵兩賊, 分付道臣, 人民所見處, 不待時處斬, 懸首五日, 使億兆群生, 咸知綱常之至爲重, 邪學之切可戒, 不可已矣, 伏惟上裁云矣. 臣等謹考律文, 則大明律禁止邪巫邪術條, 有曰, ‘凡一應左道亂正之術, 或隱藏圖像燒香, 集衆夜聚曉散, 佯修善事, 扇惑人民, 爲首者絞.’, 同律發塚條有曰, ‘毁父祖神主者, 比毁屍律.’, ‘子孫毁其祖父母父母死屍者斬’,002
註 002 『承政院日記』: ‘子孫毁其祖父母父母死屍者斬’이 없다.닫기
‘二罪俱發 從重論’, 不但名例所載. 今此尹志忠·權尙淵等, 邪術妖書, 潛相傳習, 甚至於父祖祠板, 手自焚毁, 窮兇絶悖, 人理滅絶, 而査庭覈問之時, 其所供辭, 節節兇獰, 決不可一刻容置於覆載之間. 更令道臣具格啓聞後 正法, 何如?”
判付內, “依所啓施行003
註 003 『承政院日記』: ‘更令道臣其格啓聞後 正法何如 判付內 依所啓施行’⇒‘依下段毁屍律施行 令該道道臣具格結案取招啓聞後 正法 何如啓 依所照律施行爲良如敎’.닫기
.”
辛亥十一月初八日午時, 刑曹堂上入侍時, 判書金所啓, “全羅監司同推罪人尹志忠·權尙淵文案回啓, 旣有依所照律施行事, 判付矣. 大臣收議及臣曹照律, 處斬則一也. 而有待時不待時之異, 何以擧行, 敢此仰達矣.”
上曰, “依大臣議, 施行, 可也.”
又所啓, “兩賊正律, 不可一刻遲緩, 自臣曹知委本道, 一邊捧結案啓聞後, 卽爲擧行, 斷不可已, 更此仰達矣.”
上曰, “依爲之.”
又所啓, “湖南兩罪人, 旣用大辟, 明正典刑, 不但一方人士庶或知戢, 毋論京外, 設有傳習邪學者流, 必有大懲創之效, 而至於拔本塞源之道, 終莫如痛禁其書, 其書不傳, 則其學自絶. 臣意則遍搜坊曲, 投諸水火, 而自首者, 則付之令前, 一倂勿問, 若或有不卽現納, 從後被捉者, 自臣曹依律勘斷之意, 預先嚴飭, 何如?”
上曰, “依爲之. 火其書, 豈待卿言, 而年前禁西學事, 備局回啓判付中, 名曰, 火其書, 一有見遺, 反損法綱爲敎者, 出於令出惟行之意, 而今則近於干戚, 睯不知畏, 烏可不用重典? 當別下傳敎定制, 自卿曹爲先知委. 京中限二十日, 諸道各計令到後二十日之限, 家藏者告官焚之, 昩爽以後, 若有現發於匿置者, 自有當律, 卿其嚴飭坊曲, 俾無不聞如之弊, 外方一體行會, 限後犯科, 監司守令, 竝當坐律, 亦爲分付, 可也.”
又傳曰, “湖南尹志忠·權尙淵用大辟, 旣從獄官之議律, 而渠之絶悖至兇, 無係乎不埋葬一款之浪傳, 毋論焚與埋, 用意下手於祠中之板者, 是可忍孰不可忍, 猶屬歇語, 以今民志之日渝, 正學之日蕪, 猶不料有此滅倫敗常之擧, 亦豈但曰, ‘不遜而不親乎哉’? 戊寅海西之事, 特不過村氓野婆輩無知沒恥之犯, 權·尹兩豎, 尤與賊類自別, 則其爲彝常之變, 當如何? 此所以判下曹案也. 先以治化之未敷, 瞿然歎類者, 其在明天倫正人心之道, 宜有別般懲惡之典, 事屬綱常, 何拘格例乎? 全羅道珍山郡限五年降縣, 置之五十三官之末, 該守令任其作罪, 其敢曰, 在官不知乎? 不可以渠先摘發有所寬恕, 日前臺啓, 亦以待決末處之爲批, 該郡守先罷其職, 仍令該府拿問, 照律重勘. 至於火其書之請, 旣從刑官筵奏而使之火之, 寧有徒法自行之理乎? 家藏者告官自首, 自首者勿問, 仍自今日屬之昧爽, 更以所謂厥冊現發於昧爽004
註 004 『承政院日記』: ‘更以所謂厥冊現發於昧爽’이 없다.닫기
以後者, 施以重辟, 幷家長勘罪, 斷不饒貸事, 載之金石之典, 而自廟堂先自部內坊曲, 嚴明知委, 外方一體頒示, 今則處分旣嚴, 而所謂邪書事, 可謂出場, 復以如此如彼之說, 登撤於公車, 致煩酬應, 反非不事之義, 以此分付. 向於臺啓相箚之批, 申申以衛正學三字, 爲闢邪說之急務, 言似迂遠, 意實深長, 今於兩豎用大辟之後, 其所扶植闡發之策, 不可以迂遠而忽之, 昨見抄啓文臣對策中, 有一卷之‘以林下隱迹者, 先試郞潛邑吏, 爲捄措’, 此說深有槪焉, 欲待査事出場, 而用其言矣. 珍山見窠, 以抄選中人差遣事, 分付銓曹, 又於筵席, 語到端本之方, 大臣請以學習經傳, 尊尙程朱, 固窮不染於流俗者, 拔例晉擢, 大臣之言誠好矣. 令廟堂抄選讀書之士以啓, 式年不遠, 此其時也. 道內飭躬修行之士, 亦令廟堂, 嚴飭諸道方伯, 勿循前套, 實心對揚, 先試郞潛而可堪, 次試字牧而可合, 推以至於備顧問, 亦足當其任, 式年原薦外, 雖一二人, 各加搜訪, 期於歲前登聞事, 分付, 載之禁府刑曹受敎.”

출전 : 聽訟-119. 治邪學
   謄錄-52. 邪學禁斷事
   秋曹-88. 治邪學
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 11월 8일.
   『秋官志』 卷9 「掌禁部」 〈法禁〉 [禁邪學 西學科治].
註 001
『承政院日記』: 이상이 ‘刑曹啓目 粘連依下敎 發遣本曹郞廳 問議于大臣是白乎’이다.
註 002
『承政院日記』: ‘子孫毁其祖父母父母死屍者斬’이 없다.
註 003
『承政院日記』: ‘更令道臣其格啓聞後 正法何如 判付內 依所啓施行’⇒‘依下段毁屍律施行 令該道道臣具格結案取招啓聞後 正法 何如啓 依所照律施行爲良如敎’.
註 004
『承政院日記』: ‘更以所謂厥冊現發於昧爽’이 없다.
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331. 正祖 15年(1791): 선전관‧금부도사의 작폐 및 곤장을 남용하는 문제 처리
◉ 奪符宣傳官 禁府都事之作弊 與擅用刑棍者 狀聞事
辛亥四月二十八日到付.宣傳官·金吾郞之 擅用刑棍者 摘發狀聞事 備邊司爲相考事, 節啓下敎. 今四月二十二日, 政院啓曰, “平安前監司沈頣之, 前兵使李得濟奪符次, 標信請出之意, 敢啓.”
傳曰, “昨年前伯兩人奪符與押去之時, 都事宣傳官輩, 沿路作弊, 無所不至, 民邑喫困, 害及鷄犬, 其時欲大行懲創之政, 而只竄一金吾郞, 其餘官吏, 未及處分矣. 今又有道帥臣押去之事, 若有一毫襲謬之擧, 則西民何以堪之乎? 尤無狀者, 金吾郞及下吏羅卒也. 今番以奪符, 宣傳官兼行押去都事之事事, 分付該府, 如是申飭之後, 若不屛息往來, 致有現發於追踵之廉行, 則當別遣宣傳官, 當該假都事等, 請以江頭, 大張威儀, 決棍三十度, 卽其地定配, 率去下屬, 嚴刑充軍. 以此分付, 宣傳官之非軍器摘奸奉命者, 濫用棍杖, 金吾郞亦擅用刑棍云, 此後犯者, 令沿路道臣隨現摘發狀聞事, 分付諸道, 丙申初李普行爲湖南伯也, 能遵朝令, 金吾所屬作弊者, 先爲刑推, 追後狀聞, 伊時則猶有知戢之效, 近來凡事, 惟以彌縫爲事, 無非如沈頣之者類, 頣之之目見昨年列邑之受弊, 至今無一言, 可謂難化者氣質, 以此傳敎, 爲先自新道臣知之, 諸道行會, 皆令廟堂爲之.”
事, 傳敎敎是置, 傳敎內辭意, 奉審施行向事.

출전 : 謄錄-48. 奪符宣傳官 禁府都事之作弊 與擅用刑棍者 狀聞事
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 4월 22일.
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332. 正祖 15年(1791): 법외 장형 및 규정 이상의 역마에 대한 처벌
◉ 使星法外之杖 加數把馹 隨現狀聞事
辛亥五月初七日到付. 備邊司爲相考事, 節啓下敎. 今四月, 以禮曹故副摠管趙鼎耉致祭事, 平壤地下去, 曹郞廳騎卜馬題給事單子判付內, “本府無異瘡痍之餘, 向來旱乾爲慮不淺, 日昨甘澍, 雖幸均霑, 而麥事姑難出場, 此時道帥臣又遞易, 言念西民, 受困必多兺不喩, 近來致祭之行, 無論承宣禮郞, 作弊外邑, 其端不一, 月前湖西諸處致祭, 民邑之弊, 已聞於筵席, 況此本道乎? 令廟堂嚴飭沿路, 凡係廚傳騎馹等事, 一任其侵徵, 如湖西之爲, 而不卽報營者, 守令察訪隨現重勘之意, 嚴飭分付爲旀, 各道段置, 使星法外之杖, 加數把馹, 申加嚴飭, 犯者隨現狀聞事, 分付, 旣往雖不論, 緘默之罪, 不可仍置, 忠淸監司朴宗岳, 從重推考.”
事, 傳敎敎是置, 傳敎內事意, 奉審施行向事.

출전 : 謄錄-49. 使星法外之杖 加數把馹 隨現狀聞事
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 4월 26일.
   『正祖實錄』 정조 15년 4월 26일.
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333. 正祖 15年(1791): 역졸의 양처 소생은 바라는 바에 따라 역리로 올리고 종량 금지
◉ 驛卒良妻所生 從願陞吏 不可從良事
辛亥五月初九日到付. 備邊司爲相考事, 節啓下敎. 今四月三十日, 朝講次對入侍時, 左議政蔡所啓, “辛亥以後公私賤良妻所生, 竝皆許良, 卽先朝定制, 而續大典, 獨於驛卒良妻所生, 則從願施行載錄. 各驛以爲從願云者, 非爲從良, 卽指願陞爲吏, 故自辛亥法立之初, 亦無驛卒良産之許爲良人, 只從自願陞吏而已. 蓋國家所重, 無過於驛路, 而若許爲良, 恐無驛役之人, 故法意似出於此矣. 今聞東北各驛驛卒良出者, 以從願二字爲執言, 擧欲反驛投良, 呼訴紛紜, 安可創開前日不行之例, 以致驛路轉益凋殘之弊乎? 此不可不一番陳達厘正, 自今以後, 從願二字, 使之只用於陞吏一款, 俾無更事逃避之患, 何如?”
上曰, “依爲之.”
事, 傳敎內事意, 奉審施行向事.

출전 : 謄錄-50. 驛卒良妻所生 從願陞吏 不可從良事
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 4월 30일.
   『正祖實錄』 정조 15년 4월 30일.
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334. 正祖 15年(1791): 수령의 집을 함부로 왕래하는 액례 처벌
◉ 掖隷之稱以索帖 往來守令家者 嚴處事
辛亥七月二十六日到付. 備邊司爲相考事, 節啓下敎. 今七月十九日, 政院啓曰, “掖屬之無敢出入於朝士之家, 自前飭敎 何如, 法意何如, 而近聞別監輩, 稱以受帖, 無難往來於守令之家, 聽聞怪訝, 後弊難言. 雖在蔭武, 固已可駭之, 甚至於侍從守宰之看作尋常, 任其去來者, 可謂貽羞朝廷, 與受同罪, 當該掖隷, 出付攸司, 照法嚴繩, 當該守令, 待其査出, 倂當重勘, 而本院請推之外, 無他可施之罰, 何以爲之? 敢稟.”
傳曰, “嚴內外之禁, 卽一副金石, 況年來以此等事, 飭禁何如, 則渠輩之如是冒犯, 萬萬痛惡, 錢貨潤己, 雖難禁慾火 焉敢越法着紅衣, 往法從之家, 推索帖文乎? 雖不着紅衣, 名以掖隷, 則其罪無異, 況以守令下直時, 掖屬索帖之弊, 年前飭嚴, 又何如乎? 以此以彼, 不可尋常處之, 該掖隷, 出付攸司, 嚴加懲治後, 草記. 掖隷何足言? 所可羞愧者, 法從也. 旣聞之後, 有難仍置, 指名捧現告, 爲先罷職, 法從若此, 則武夫何論? 宜有差等. 現發武倅, 竝令道臣, 拿致營門, 從重決杖事, 令廟堂, 分付. 此後文蔭武守令家, 掖隷之投足者, 接置與往見, 當同罪, 若或掩置而現發者, 加等重勘, 嚴飭諸道及吏兵曹, 可也.”
事, 傳敎敎是置, 傳敎內事意, 奉審施行向事.

출전 : 謄錄-51. 掖隷之稱以索帖 往來守令家者 嚴處事
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 7월 19일.
   『正祖實錄』 정조 15년 7월 19일.
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335. 正祖 15年(1791): 한성 오부의 소송 관할
◉ 漢城五部聽訟
乾隆五十六年辛亥四月初四日 備局有司堂上·漢城判尹入侍時, 判尹具㢞所啓, “官制旣已變通, 財力亦且區劃, 則各部難支之弊, 庶或蘇革, 而但欲使之有官長之體, 則稍畀詞訟之權, 統攝當部之民, 然後始可有實效矣. 部內二十兩以下及酗酒·鬪毆等訟, 依舊例, 一竝付之於該部聽理, 其中若有干犯稍重者, 則自各該部報于本府, 自本府移送秋曹, 照律重治甚好. 以此定式施行, 何如?”
上曰, “雖不作式, 自有舊典, 而近來部官輩, 反不無法外聽理之弊, 民之受困, 亦足可悶. 且以渠輩職責言之, 句管而已, 統攝而已, 可也. 捧債·徵債等事, 過加假其權, 則旣有刑·漢城府, 不但有侵官之嫌, 彼諸部官未經事者, 聽理決難一一中窾. 此後鬪毆·酗酒等事, 申明舊典, 着意照察, 如債錢等事, 雖屬舊典之應在限內者, 毋或輕先聽理, 渠輩必告于曹·府決處事, 申飭, 可也.”

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336. 正祖 15年(1791): 각사의 한성 오부 이예(吏隷)에 대한 핍박
◉ 漢城五部吏隷侵漁
又啓曰, “各司之侵漁部隷, 無處不然, 而成均館·左右捕廳及巡廳, 又其最甚者也. 捕廳·巡廳, 則稱以座更之見闕, 成均館, 則稱以知委之不勤, 而甚至齋學, 毋論公私事, 率皆公然推捉, 小不如意, 則狼藉毆打, 甚至於突入部中, 恣意作拏. 如是之際, 部隷輩怯於見捉, 獸駭鳥散, 部官則傍無一人. 坐守公廨, 雖欲逐出, 其勢末由, 景色之愁亂. 下習之無嚴, 尤極可駭. 此實部隷難支之痼弊, 臣謂部隷輩, 或有不勤擧行之事, 各司郞及巡廳從事官, 泮館之久任郞廳, 四學之敎授·訓導, 論列罪狀, 報于京兆, 使之嚴治, 而大臣分付及承政院·內閣·備邊司·議政府·漢城府之外, 雖五上司, 各軍門, 不得任意推捉或囚禁事, 定式嚴飭, 而如有犯者, 自臣府草記論罪, 何如? ”
上曰, “旣爲渠輩, 制其保存之策, 則加其料, 不除其弊, 何異於不爲? 此後先自成均館之法外侵漁, 各別痛禁. 陞試·庠製, 旣非科場, 則捧甘, 五部知委洞里坊曲, 使諸生聞風來赴足矣. 名以堂堂賢關, 爲此微事, 貽此巨弊, 萬萬不成說. 如是定式之後, 雖一吏一隷, 屬於各部者, 招入香橋以內一步地者, 朝令自賢關犯之, 何可曰首善乎? 當該大司成, 拿致王府, 施以違制之法律, 久任郞奪告身三等.001
註 001 久任郞奪告身三等 -」 『正祖實錄』 久任郞亦爲重勘닫기
吏隷中作奸者, 嚴刑定配, 萬一事出儒生, 則久任郞勿論, 儒生移送攸司, 照律勘配事, 嚴飭分付. 巡廳監軍及捕廳之以座更事, 雖有執頉者, 只治任掌, 部屬則言送京兆治罪. 若此而更有犯科者, 巡將·監軍及捕將等, 亦爲拿問重勘. 不徒此也, 政院·內閣·議政府·備邊司·刑·漢城府外, 勿爲推治, 或囚禁, 雖五上司, 無得囚禁, 各軍門無得用棍. 必皆言送京兆科治事定式, 以此定式. 作一木牌, 各佩部屬, 以爲憑考之地, 可也.”

註 001
久任郞奪告身三等 -」 『正祖實錄』 久任郞亦爲重勘
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337. 正祖 15年(1791): 내농포 염색 원료를 받아들일 때 폐단 혁파
◉ 內農圃染藍輸納時, 道路汚穢之修掃 永爲革罷
又啓曰, “內農圃染藍輸納時, 以道路汚穢之修掃事, 當部書員使令, 逐日待令於路傍, 若至畢納, 則將近一朔云. 此亦爲弊之大者, 永爲革罷似好, 而臣取考庚辰事目, 則凡部隷治道導駕衙門外督責待令者, 一切嚴禁, 而每於動駕時, 班首班末禁府留陣司憲府待令等事, 甚無義. 此後則依事目永爲革罷, 何如?”
上曰, “依爲之. 毋敢一毫違越. 至於內農圃事, 尤爲駭然. 萬一如前載來之中官定配, 圃吏刑治, 可也.”

출전 : 秋曹-80-3. 內農圃染藍輸納時, 道路汚穢之修掃 永爲革罷
전거 : 『承政院日記』 정조 15년 4월 4일.
   『正祖實錄』 정조 15년 4월 4일.
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