297. 正祖 13年(1789): 검험을 회피하려는 수령은 보고하여 엄히 단속할 것
◉ 檢官謀避 少勿饒貸 直爲狀聞重勘事
己酉閏五月初一日到付. 刑曹爲相考事, 節啓下敎. 因全羅道樂安郡殺獄罪人孫病入老味獄事, 曹回啓, 判付內, “樂安郡囚孫病入老味段, 向來判付時, 非不知元犯之專屬此囚, 而第因其名而想其人, 則或慮夫病痿之漢, 未必作殺越之擧是遣, 又況渠之前後爰辭, 一直推諉於在逃崔女者, 亦不無些分然疑之端, 故使之待跟捕究覈以聞, 今焉崔女之供出, 而韓女被踼時光景, 非特瞭如指掌, 就其中, 牛黃鷄粥之面傳躬饋, 孫家崔屋之此毁彼賣, 以至隔一舍過三稔之相通聲氣者, 輒歸之在逃等, 各項隱跡, 尤明白呈露矣. 曹啓所謂, 誣援渙如氷釋, 情節轉成鐵案者, 誠得之. 另飭推官, 加刑得情, 無論虛實眞僞, 或同之妻, 鬨場之在傍看證者此也, 兇身之藉口掉脫者此也. 移在接壤之地, 恒作趁虛之行, 則名以跟捕, 初不致疑, 乃於年久行査之後, 始爲現問者, 撥以獄體, 萬萬稽忽, 該郡旣經論斷, 勿論, 不飭之道臣, 竝推考爲旀, 兩屍帳之大小相左, 今不必推究, 而卽以前道臣題辭論之, 檢驗事體, 至爲嚴急, 雖在冬節寒凝之時, 固不容晷刻少緩, 而觀於過去, 守令之在他地方, 亦爲行檢之法可知, 則順天光陽寶城三倅之互相頉移, 至使夏月屍體腐爛莫憑者, 誠極痛駭, 該道臣之不卽狀勘, 只治刑吏, 失之太寬, 從重推考. 三邑守令段, 待稅穀畢装發, 竝卽拿問定罪. 擧一可知反三, 自卿曹以此判付, 知委諸道. 若有檢驗, 謀避報移者是去等, 毋得掩覆, 直以依定式拿問重勘之意, 措辭狀聞, 嚴飭行會, 仍載本曹受敎.”
爲良如敎事, 判下敎是置, 判付內辭意, 奉審施行爲乎矣.
檢驗事體, 自來嚴重不得踰日之故, 過去官長傍邑守令, 亦不敢稱頉而冒進, 則今此病入老味之獄囚, 檢官互相推諉, 以致曠日, 稽檢屍體變動, 終至傷處失實者, 非但有違法例, 亦關紀綱, 故判付截嚴推諉三守令, 至有拿問之命敎是如乎. 近來外邑不知檢驗之重, 或有規避之弊, 此蓋由於營門不能嚴束之致, 此後段, 凡有檢官之謀避不赴者, 少勿饒貸, 直爲啓聞重勘爲乎矣, 袛受形止先卽狀聞, 宜當向事.