倭料米·太及公木分徵郡邑
料米二千六百七十石。合料米及魚價米·雜色作米, 而論之也。
太八百二十二石。
公作木一千一百二十一同四十四疋三十二尺三寸。
元定十七邑
寧海, 盈德, 淸河, 興海, 迎日, 長鬐, 慶州, 機張, 蔚山, 大丘, 仁同, 草溪, 高靈, 星州, 善山, 漆谷, 東萊。漆谷·東萊兩邑稅, 全歸料米·太。
以上十七邑, 依收稅數除料米·太。其餘則竝作木九百四十同十疋三十二尺三寸, 而歲有豐歉, 收稅之數, 如或不滿, 則以其不足者, 移定於山郡, 以準元數。必定於山郡者, 漕路絶遠處, 多以稅米作木以納故也。
公作木足數加定郡邑
乾隆己未加定。
庚申加定。
辛酉加定, 軍威·靑松·陜川·三嘉·咸陽·金山·開寧·英陽·義興·眞寶·新寧·河陽·慈仁·慶山·淸道·彦陽·永川·義城。是年北路大歉, 運嶺南粟以賑之。元定十七邑穀, 皆入其中, 故加定郡邑, 如是其多。
壬戌加定, 陜川·三嘉。
癸亥加定, 陜川·三嘉·義興·慶山·彦陽·淸道。
元定十七邑穀, 自足準數, 則不用加定, 必不足然後, 始有加定法, 旣不可以逐年該錄, 故只載挽近五年之數。
元定十七邑及加定諸邑所徵作木, 卽九百四十同, 猶未滿於一千一百餘同之數, 故又分定十九邑。
梁山, 昌寧, 玄風, 密陽, 靈山, 宜寧, 咸安, 金海, 晉州, 河東, 南海, 泗川, 固城, 昆陽, 巨濟, 昌原, 熊川, 漆原, 鎭海。
右戶曹謄錄所謂大同相換戶曹稅米者也。十九邑稅米中, 出三千二十八石, 作木一百八十同三十四疋, 合九百四十同, 以足一千一百同之數。蓋十七邑稅, 盡歸諸公木之需, 十九邑稅, 略略分徵, 期滿一百八十同而已也。至於四百同作米, 七百同本木之規, 則元無定數。慶尙監司逐年秩換〔迭換〕, 使郡邑均勞。
朝廷旣以公作米萬六千石, 許賜馬島, 而萊府運米監官, 不卽入給, 居間幻弄, 廢居興販, 資爲利窟。此皆主管守宰之責也。虧欠旣多, 則輒事發, 或罪諸邑守令, 或罪東萊府使, 玆錄其事端稍大者。至於作米之和水和沙, 日供諸物之不卽輸與, 皆廟堂之數加警飭者也。
康熙甲申, 各邑各年條作米未收, 合爲數萬餘石。因東萊府使李埜狀啓, 各邑中未收最多者守令, 備局啓稟論罪。乾隆甲子, 作米未收四千七百石事聞, 監官田雨章梟示, 以下二人決棍, 沒爲奴, 軍官金敬一時爲監官。, 刑推後, 限己身絶島統軍〔充軍〕, 府使鄭履儉, 徒三年定配。