三手米
傳敎
英宗三十六年庚辰, 傳曰, 三手糧, 爲輦下軍兵而設也。宜自毓祥宮, 至四宮新舊宮家, 與京外各樣免稅中, 三手糧條, 勿爲免稅。嗟, 予有司之臣, 體此意擧行, 今番下敎, 令度支成節目, 以稟。
式例
兩湖·關東火田, 則入於元結, 故竝收三手米。
各宮房·各衙門及各樣位田·屯田免稅條, 一倂收捧。
各驛位田, 竝勿論。英宗庚辰定式。
三南作木邑·關東作布邑米一石, 作布木三疋。疋, 五升三十五尺。, 嶺南作木邑比田稅減半疋。, 海西作錢邑。大米一石, 代錢五兩, 田米一石, 代錢四兩, 太一石, 代錢二兩五錢。
甲戌量後, 三南減一斗, 丙子亂後, 京畿全減, 海西·關東, 依舊收捧。畓收大米, 田收小米。
忠淸道四郡丹陽·永春·堤川·淸風。, 以田米, 相代上納。
原春道伊川, 以田米甲納。英宗壬申, 大米上納定式。
黃海道延安·白川收田米, 以大米, 相代上納。今上丁酉, 田米上納定式。
兼料式
訓局馬步軍五千名內試射三發五中者, 陞付兼司僕四千三百七十五名。, 每名下加料。大米一斗, 小米二斗。○竝計閏朔磨鍊一年所下大米三千七百九十一石十斗, 小米七千五百八十三石五斗。, 自戶曹元料一體支放英宗己卯, 改定式。, 元料, 自戶曹上下, 兼料劃付都監, 通作大米上下○兼料移劃, 以本曹所納長山以北十一邑三手糧大米七百五十石, 小米四千二百五十石。, 限五千石元定移給。收租, 歲各不同, 有餘則自歸本曹, 不足則加送別收米。○惠廳請得米一千七百四十石。, 別營太三千七百石。, 年年劃送小米一石, 代太二石。, ○移劃不足數, 以本曹所管別收米給代中, 還減條詳定米一千石大米一石, 四兩五錢, 小米一石, 三兩五錢。, 使該邑作錢, 直納都監。○其外大米一千三百八十石七斗五升, 每石, 代錢四兩。, 小米二百七十七石十二斗, 每石, 代錢三兩。, 合錢六千三百五十五兩四錢內三百五十五兩四錢, 以戶曹所下閑良料, 小米作大米, 添價條計除之。, 實不足錢六千兩, 代米二千石。, 以關西稅收米, 亦爲作錢, 直納都監, 以爲加料上下之地。毋論豐凶, 每年以米八千二百石酌定, 自均廳逐朔上下, 以爲兼料之資, 而每石代錢, 依移納例三兩七錢式, 計減於一年歲末, 給代錢中。
節目
訓鍊都監設立之時, 五道田結, 每結捧三手糧二斗二升, 付諸地部, 使之策應, 而其後三南特減一斗, 軍餉無以支放, 若論弊源, 則各處免稅之混減三手也, 一結一斗, 若通計十萬餘結, 則將近萬餘石, 今此筵稟, 成節目擧行。
一, 各宮房·衙門收稅, 每結二十三斗云, 今除三手條, 三南一斗二升, 海西·關東二斗二升, 一結當捧二十二斗一升, 日後差人若有濫捧之事, 則次知中官·當該官員, 施以制書有違律, 方伯·守令, 亦爲論罪。
一, 陵軍復戶, 只免大同, 其中自耕者無稅, 而近來復戶幾皆爲無稅, 且多冒僞, 竝令道臣, 各別精査, 俾無混雜之弊。
一, 驛馬位, 所管非細, 而今此三手條, 不可獨免, 一體出稅。
事實
宣祖二十六年癸巳, 設訓鍊都監, 三南·海西·關東五道, 始收三手糧砲手·殺手·射手。, 每結二斗二升。
仁祖十二年甲戌, 三南量田後, 每結減一斗。
顯宗五年甲辰, 因京畿監司狀啓, 本曹啓目, 丙子後, 京畿各邑, 竝減三手糧, 而獨喬桐等十邑, 尙今收捧, 一體減捧, 何如? 依允。
英宗九年癸丑, 江原監司魚有龜所啓, 關東驛位, 元無三手米, 而戶曹督徵無前之役, 況値歉歲, 姑觀數年收捧, 何如? 本曹啓目, 自今秋捧納, 似當矣。上曰, 依爲之。
十一年乙卯, 禮曹參判李德壽所啓, 莊陵守護軍, 與他陵卒自別, 三手糧之役, 似當蠲減矣。上曰, 依爲之。