傳敎
世宗二年庚子五月, 敎本曹曰, 義倉之設, 本欲賑乏, 今聞, 京居富强者, 或暗請執吏, 率先多得, 以爲酒食之資, 甚者, 用爲貨殖, 貧乏者, 終至飢餓 有違義倉本意。自今敢有如此者, 執吏及官員, 以制書有違律論。
肅宗四十三年丁亥, 敎曰, 還上之穀, 有緩急, 則爲軍餉, 値凶荒, 則爲賑資, 近來則不但不能準捧, 亦不擇捧。今觀京畿御史書啓, 一邑則精捧, 民頗爲苦, 受食之日, 反以爲幸, 一邑則全不精捧, 受食之日, 卒乃歸咎。善捧與不善捧, 專在守令, 雖値凶荒之時, 必皆爲精捧。
英宗六年庚戌, 敎曰, 折半留庫之法, 非今創行, 乃是令甲。蓋還穀, 平時則爲農糧, 荒年則爲賑資, 不幸有緩急, 則爲軍餉, 留庫之意, 豈徒然哉, 折半之令, 不可撓改, 各別申飭, 可也。