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道里
營府路程
開城府距京百六十里。, 江華府距京百三十里。, 京畿水營距京一百三十里及水路五十里。, 忠淸監營距京三百二十三里。, 兵營距京三百七十里。, 水營距京二百三十里。, 江原監營距京二百四十里。, 黃海監營, 距京三百八十里。, 兵營距京四百八十八里。, 水營距京四百八十里。, 全羅監營距京五百十六里。, 兵營距京八百七十里。, 左水營距京九百四十里。, 右水營距京九百八十里。, 慶尙監營距京六百七十里。, 統營距京九百九十六里。, 左兵營距京八百八十三里。, 右兵營距京八百六十六里。, 左水營距京九百七十二里。, 咸鏡監營距京八百三十三里。, 南兵營距京一千八百三里。, 北兵營距京一千七百四十里。, 平安監營距京五百八十二里。, 兵營。距京七百五十里。
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燕京旱路永樂己丑, 後改路。
自鴨綠江至鎭江城, 二十里。本名九連城, 萬曆丙申, 改爲鎭江遊擊府。湯站, 七十里。柵門, 二十里。鳳凰城, 二十里。鎭東堡, 四十里。一名, 薜劉站。我國人呼, 爲松站。鎭夷堡, 六十里。一名, 通遠浦。連山關, 七十里。一名, 鴉鶻關。甛水站, 三十里。道東, 九十里。十里堡, 六十里。盛京, 六十里。本名, 瀋陽。康熙辛丑, 改稱盛京奉天府。邊城, 六十里。巨流河, 四十里。我國人呼, 爲周流河。白旗堡, 七十里。二道井, 五十里。小黑山, 三十里。廣寧, 六十里。前自遼東六十里到鞍山, 五十里到海州衛, 四十里到牛家庄, 六十里到沙嶺, 六十里到高平驛, 四十里到盤山驛, 五十里到廣寧。自康熙己未, 設堡於牛庄改今路, 比前遠九十里。閭陽驛, 三十里。石山站, 四十里, 俗呼十三山。小陵河, 六十里。杏山驛, 三十八里。連山驛, 五十里。寧遠驛, 五十里。曹庄驛, 十五里。東關驛, 五十里。沙河驛, 三十六里。前屯驛, 五十里。高寧驛, 五十里。山海關, 五十里。深河驛, 六十里。撫寧驛, 四十里。永平府, 七十里。七家嶺, 六十里。豐潤縣, 一百里。玉田縣, 八十里。薊州, 七十里。三河縣, 七十里。通州, 七十里。北京, 四十里。共二千四十九里, 爲二十八日程。成化庚子, 奏請使韓明澮, 因本國官在京者, 爲援以女眞邀劫, 請改貢道事, 下兵部將從之, 職方郞中劉大夏曰, 朝鮮貢道, 自鴉鶻關由遼陽經廣寧過前屯入山海, 迂回四三大鎭, 此祖宗微意。若自鴨綠抵前屯, 山海路太經, 恐貽他日憂, 遂不從。
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燕京海路古者, 通中國以水路, 自豐川乘船, 渡赤海·白海·黑海數千里, 經許多洲嶼, 候風潮取路, 而上副使書狀, 各異船各具一本表咨, 以備不虞, 故麗末, 上使洪師範渰死, 而書狀鄭夢周得達入我朝。自永樂己丑, 從陸朝天, 至天啓辛酉, 遼瀋路梗, 復從海路。一起正·副使·書狀官·堂上通官·大通官·次通官·跟隨通官·管廚通官·前站通官·方物押領通官·軍官·醫員·寫字官及所帶奴子, 通共三十餘員。名以一起船隻, 以五爲限, 每船水手三十名, 又有各樣工手, 以備修補損壞。該載物件, 有表咨文書, 進獻方物, 及上下員役口糧盤纏衣服等物。蓋三使各乘一船, 齎擎表咨方物, 其他員役, 分坐別船云。
自宣川宣沙浦, 或從咸從, 或從安州老江鎭。發船至鐵山椵島, 六十里。丁卯以後, 自甑山石多山發船, 三百里到椵島。早牛島, 一百四十里。鹿島, 五百里。自此屬遼界。石城島, 二百里。皇城島, 一千里。鼉磯島, 二百里。廟島, 二百里。登洲。八十里。以上海路。自登州登黃縣, 六十里。黃山島, 六十里。朱橋驛, 六十里。萊州府, 六十里。灰埠驛, 七十里。昌邑縣, 八十里。濰縣, 八十里。昌樂縣, 五十里。靑州府, 七十里。金嶺驛, 七十里。長山驛, 七十里。鄒平縣, 三十里。章丘縣, 六十里。龍山驛, 四十里。濟南府, 七十里。濟河縣, 五十里。禹城縣, 七十里。平原縣, 七十里。德州, 九十里。景州, 六十里。阜城縣, 五十里。富壓縣, 四十里。獻縣, 四十里。河間府, 七十里。任丘縣, 七十里。雄縣, 七十里。新城縣, 七十里。涿州, 七十里。良鄕縣, 七十里。大井店, 五十里。京都, 四十里。共水路三千七百六十里, 陸路一千九百里。崇禎己巳, 椵島帥毛文龍, 寧遠督臣袁崇煥, 請自平島分路四十里到旅順口, 四十里到鐵山嘴, 八十里到羊島, 四十里到雙島, 五百里到南汛口, 一百七十里到此汛口, 一千里到覺華島, 十里到寧遠衛, 自此登陸至北京, 共陸路九百一十一里, 水路四千一百六十里, 改路後, 覺華島水路遠倍登州, 所經鐵嘴一帶巨海接天, 絶無島嶼, 而多藏暗礁, 儉惡無比。數年之間, 陪臣渰死者五人, 聖祖欽賜符驗及表咨方物, 幷皆漂失。島帥旣斃, 督臣亦誅之後, 請解舊禁再從登路事, 壬申奏請。
我東自失遼界以後, 陸路世梗, 羅濟時有句驪渤海, 高麗時有契丹金蒙古。光海以後, 北路不通, 又由每道。然以宋史觀之, 自明州發船八日八入我境, 八日抵碧瀾渡。以文獻通考觀之, 自禮城江發船六日至明州, 其實渡海不過二三日, 以鄭夢周之言觀之, 南京八千里, 以濟州志觀之, 朝元時, 自明月浦發船七晝夜登西岸。以槐院謄錄觀之, 自宣沙浦發船抵登州三千七百六十里, 夫舟行遲速在於風, 且𡹐嶼交錯取路各異, 渡海日數多少不同。
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航海事實
仁祖十二年甲戌二月, 備局啓目, 今年謝恩使之行船隻, 不可不預備, 舊船四隻分定兩西, 新船二隻分定統營湖西, 依例修裝, 急速回泊之意下諭, 何如? 答曰, 依啓。○七月, 備局啓目, 謝恩使宋錫慶洪命亨啓辭, 使臣之船, 單使則四隻, 上副使則六隻, 而各載射砲手, 所以備不虞也。行之旣久, 人情漸懈省弊者曰, 船隻不必依數計, 利者曰, 射砲可以代送。平安監司張紳啓請減船, 管餉使金光煜啓請差人代送料理 興販。此外團練使別破陣無非貿販之船。船數減於前, 卜物增於後, 臭載之患, 勢所必至, 請令備局稟處矣。赴京時, 私貿物貨原係國禁, 況有皇命?
自今以後, 尙方貿易諸司藥材及一行盤纏外, 諸宮家各衙門貿販, 一切防塞, 至於員役花名年貌, 亦係防姦之道, 幷依聖旨施行。加帶現發者, 無論多小, 一依潛商禁物律, 從重科斷。書狀不嚴搜檢者罷黜, 勿揀赦典之意, 添八入元事目。一行物貨, 使臣乘船時, 稱量塡書, 而戶曹所給貿易價, 幷於受去驛官名下懸錄似當, 故敢啓。答曰, 依啓。又啓曰, 近來使行公私銀貨行用已久。今後除去搜銀之名, 改稱搜檢御史, 檢覈一行物貨, 何如? 答曰, 允。
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表箋式
一, 凡踏寶, 正本踏末端年月及皮封面, 副本踏年月及衣面, 奏本同副本, 咨文則年月左旁咨字下踏御押。凡文書連張處踏, 封紙上踏。皇帝陛下字皇太后陛下字書黃綾籤, 皇后陛下字書紅綾籤。
一, 表·箋·狀正本, 紙長七寸九分廣三尺, 許一行書二十字, 字極細, 用淡墨。皮封外面, 合衿處書朝鮮國王臣姓某謹上表。箋則書箋, 狀則書謹封。副本作貼紙, 長寸七五分帖, 廣二寸六分帖, 則無定數。粧用黃綾衣, 衣面付綾籤, 書表副二字。箋同。每帖六行書二十字深墨小字。奏本長廣與副本同, 每帖七行書四十字, 字比副本差小。咨文作貼紙一尺二寸五分帖廣三寸二分半貼, 無定數。每帖九行書六十六字, 字比副本差大。
一, 凡字高低有四層, 亦謂之行。表·箋·狀, 則每一字爲一行, 奏本咨文過一字爲一行。黃籤書一行起, 皇后·皇太子紅籤書二行起。
一, 表·箋·狀封筒, 長八寸八分, 廣三寸一分, 高二寸九分, 黃畫龍鑞粧, 箋筒則紅盡龍, 狀筒則稍狹紅畫鳳。筒內裌綃袱一黃畫龍箋則紅畫龍, 狀則紅畫鳳。裌綃大帶二, 裌綃小帶一, 別作廣小封紙各二, 前面合衿處書朝鮮國王臣姓某謹上表。箋同, 狀謹封。以上等件, 皆置筒內, 以備臨時封進。正副本, 皆裹以厚白紙。正本則別以擣練紙塡裹。又以白紙左右夾西無定數。以上筒內諸具。黃綿子六兩裹筒, 又以白紙連粘四張者三, 裹黃綿子外。又用黃紅色紙表用黃, 箋狀用紅。連粘四張者三, 裹白紙外, 又用黃染正布裌袱一裹。其外納于黃色裌袋中次殿用紅。, 納于櫃中。櫃或紅, 或黃。櫃外裹油紙二匝毛皮各二。草席一匝, 以黃紅色麻索二件, 封結牢固後, 用紅小牌分書表箋狀字, 以爲櫃標。
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方物
冬至
皇帝, 黃細苧布, 一十疋。白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 四十疋。白細綿紬, 二十疋。龍文簾席, 二張。黃花席, 二十張。滿花席, 二十張。滿花方席, 二十張。雜彩花席, 二十張。人蔘, 五十斤。豹皮, 一十張。雜色馬, 三十匹。
聖節
皇帝, 黃細苧布, 一十疋。白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 七十疋。白細綿紬, 二十疋。龍文簾席, 二張。黃花席, 二十張。滿花方席, 二十張。雜彩花席, 二十張。人蔘, 五十斤。豹皮, 二十張。獺皮, 二十張。苧麻兼織布, 一十疋。雜色馬。四十匹, ○自海路朝貢, 停貢馬。他同。
皇太后, 紅細苧布, 一十疋。白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 四十疋。白細綿紬, 二十疋。黃花席, 一十張。滿花席, 一十張。雜彩花席, 一十張。
皇后與皇太后同。
皇太子, 白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 四十疋。滿花席, 一十張。雜彩花席, 一十張。人蔘, 二十斤。黃毛筆, 五十枝。油煤墨, 五十錠。
奏請
皇帝, 黃細苧布, 二十疋。白細苧布, 三十疋。黑細麻布, 五十疋。白細綿紬, 二十疋。龍文簾席, 二張。黃花席, 二十張。滿花席, 二十張。滿花方席, 二十張。雜彩花席, 二十張。人蔘, 五十斤。豹皮, 六張。獺皮, 一十張。粘六張厚油紙, 一十部。雜色馬, 二十匹。
皇太后, 紅細苧布, 二十疋。白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 二十疋。滿花席, 二十張。雜彩花席, 一十張。
皇后與皇太后同。
皇太子, 白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 三十疋。黃花席, 一十五張。滿花席, 一十五張雜彩花席, 一十五張。人蔘, 三十斤。虎皮, 二張。○謝恩奏請, 則隨其事之輕重, 方物數目臨時增減。
謝恩
皇帝, 黃細苧布, 三十疋。白細苧布, 三十疋。黑細麻布, 一百疋。白細綿紬, 三十疋。龍文簾席, 四張。黃花席, 一十五張。滿花席, 一十五張。滿花方席, 一十五張。雜彩花席, 一十五張。人蔘, 五十斤。豹皮, 五張。雜色馬, 五十匹。
皇太后, 紅細苧布, 一十疋。白細苧布, 一十疋。黑細麻布, 二十疋。白細綿紬, 二十疋。滿花席, 一十張。雜彩花席, 一十張。
皇后與皇太后同。
皇太子, 白細苧布, 二十疋。黑細麻布, 四十疋。滿花席, 一十張。雜彩花席, 一十張。人蔘, 二十斤。黃毛筆, 五十枝。油煤墨, 五十錠。
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詔使接待
仁祖十二年甲戌三月, 備局啓目, 乙丑王胡兩詔使時, 京中所用銀子十萬七千餘兩, 人蔘二千一百餘斤, 豹皮·大鹿皮各二百餘令, 白紙一萬六百餘卷, 雨籠一千八百事, 而其餘虎皮扇子油芚雪花紙紬苧等物, 可以推知矣。其時, 旣收三結布, 又收四結布, 通共三千四百餘同, 而猶爲不足, 貸出毛營銀三萬兩, 僅僅支過。今番詔使只一員, 比乙丑所費, 當半減, 而戶曹元儲銀只一萬一千餘兩, 封不動木五百同, 人蔘只數十斤, 萬無擔當之理。請令該曹料理, 何如? 本曹啓目, 平調興船四年不來, 流芳院船三年不來, 兩船應給木竝一千一百三十餘同零, 而頃回道啓六百三同, 則使之上送, 其餘五百三十二同, 姑勿捧上, 行會道臣, 盡輸東萊貿銀上送, 三結木之外, 又有兵曹餘丁木二百同, 三名日方物二百餘同, 湖南舟師除防木一百六十餘同, 而及到於詔使未到之前, 未可期。各衙門見儲木, 照數先貸, 以貿銀蔘, 倭公木, 待秋捧給, 似爲便當, 答曰, 依啓。○備局啓目, 戶曹啓辭, 天使頭目物貨發賣, 多至七萬餘兩, 雖竭公私之力, 萬無辦出之理。試令市民呈文, 而以白納銀六千兩蔘二百斤爲言, 何如? 答曰, 似無動聽之理, 而啓辭如此, 依爲之。
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