奴婢投入, 明辨治罪
○甲寅八月十五日, 傳。 國家之所以扶持而鞏固者, 以其有上下之◆…◆一易, 則奴之判主猶臣之叛君, 攘奪之風, 爭亂之◆…◆是置。今者, 窮殘士族之奴, 苦役州郡之奴, 或納內需司之人, 或交結內需司奴, 或阿附用事宦寺, 傾家罄産, 以遂其願。或詐稱甘露寺逃奴婢之所生, 或冒稱淨業院·內需司逃奴婢之所生, 不考族派, 不察年歲。一加內需司之名, 則色吏不敢問, 差使員不敢辨, 其官·其主不敢訟爲臥乎等用良, 高曾世業, 坐而見失, 弧兒·寡婦, 抱冤呼泣, 至於州郡之奴婢, 富者盡爲投托。只餘貧殘之人, 前日十人之役, 今日一人當之, 仍爲流離, 擧家溝壑。爲守令者, 雖知殘弊, 無以救之爲臥乎所, 投托之患, 至於此極, 豈不寒心? 大抵訟之明辨, 在乎考族派之同異, 察年歲之遠近是去等, 一得其實, 則訟得其正, 而投托之路, 可以永塞。內需司州郡士族之奴婢, 各自歸於其主, 上下之分, 永爲不紊, 叛亂之習, 庶乎少息是昆, 義同陳告奴婢, 明辨是非, 各還其主爲只爲, 掌隷院傳敎。