重補 十一年, 鐵山徐乭男毆打金承秋, 當夜致死, 實因被打。御史李崑秀別單內, 旣是奸所捕捉, 先割淫婦之髮, 仍打奸夫之頭。致命在當夜, 則成獄償命, 恐非可論云。曹回啓判付內, 雖非奸所親獲, 如挽裳·對飯等種種疑似之跡, 許從寬大之典, 觀於受敎, 可以仰認。況此獄, 渠與彼潛奸云云, 旣發於渠妻自服之供, 豈必疑之以乭男之所使乎。此別有最所眩晦者, 打時之相左也, 器仗之兼用也, 詞證之不具備也。此曰夕時打, 彼曰二更打, 須辨打時早晩, 可決奸所與否。渠往渠家, 無心開戶, 目見光景, 捉鎌直入, 則所謂眞木杖, 又從甚處得來, 鎌爲奸夫所奪, 而出戶取杖之隙, 卽奸夫抽身之路, 寧或動撣不得恭受毒打乎。干連林白從招, 亦證其初昏被打, 則二更作奸之說, 安知非乭男夫妻連腸吹耳之計乎。其在重獄體之道, 一番行査, 未爲不可。依回啓施行査啓。判付內, 乭男放送。