29. 甲辰四月二十八日[1844년(헌종 10) 4월 28일]: 과거합격자를 바꾼 자의 처벌
竊科罪人閔達鏞, 更推公事, 判付內, “此囚罪犯, 萬殺猶輕, 人之無良, 胡至此極. 旣有捕査秋供之取服, 則不待渠招, 斷案已定, 一律施行, 更無可論. 但『禮典』曰, ‘潛擦他人已入格之祕封, 換書己名, 以竊科者, 以一律論.’ 此則非已入格也, 乃未及考也, 究其換名之情, 則較尤甚焉. 考諸所載之律, 則煞有不同. 而肅廟己卯, 科獄雖證左分明, 以其初無定律, 竟施傅生之典, 則今此未及考, 換名之無定律, 亦與已入格換名之無定律, 或有可旁照者矣. 然則仰遵故事, 特貸一縷, 卽所以體肅廟好生之盛德也. 換祕封罪人閔達鏞, 加刑一次, 濟州牧旌義縣, 減死爲奴. 此後, 則雖未及考, 祕封若有換名竊科者, 與已入格換名竊科同論, 載之受敎.”爲良如敎.